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ラッカセイ(落花生[2]、 学名: Arachis hypogaea; 英語: peanut[注 1] または groundnut)は、マメ亜科ラッカセイ属の一年草。他のマメ科作物と違い、花が終わると子房柄が地中に潜るように伸びて、その先にサヤができて豆ができるのが特徴。植物学上の標準和名はナンキンマメ(南京豆)[1]、食用にされる種子は、ピーナッツともいう。
リンネの『植物の種』(1753年) で記載された植物の一つである[3]。 和名「ラッカセイ」は、豆類では珍しく、花が咲いたあとに下に向かって子房柄を伸ばして地中に潜って実をつけることから、落花生(らっかせい)の名がつけられている[4][5]。日本における地方名に、沖縄方言の地豆(ぢまめ、ジーマーミ)、唐人豆(とうじんまめ)[6]、異人豆(いじんまめ)[6]、鹿児島県でのだっきしょ(落花生)[7]、ドーハッセン、ローハッセン(落花生、長崎県)などがある。植物学上の標準和名は「ナンキンマメ」で、ラッカセイやピーナッツは、ナンキンマメ(Arachis hypogaea)に対する別名とされる[1]。農林水産省の作物統計の報告書などでは「らっかせい」が用いられている[8]。 英名 peanut (ピーナッツ)は「pea(マメ科植物)からとれるナッツ」の意で、本種から受ける印象を端的に言葉にしたもの。一説に、同じ意味の米国南部方言 pinder が異分析により転訛したものという[9]。ナッツと名につくが、種実類ではなく豆の一種である[4]。 草丈は25 - 50センチメートル。夏に黄色の花を咲かせる[2]。花が咲く前に自家受粉する。受粉後、花が落ちて数日経つと、子房柄(子房と花托との間の部分)が下方に伸びて地中に潜り込み、子房の部分が膨らんで地中でサヤができて結実する(=地下結実性
名称
特徴
南米アンデス地方原産で東アジアを経由して、江戸時代に日本に持ち込まれたと言われている[10]。日本では主に食用として栽培されている。 原産地は南アメリカ大陸である[4][10]。最も古い出土品は、ペルーのリマ近郊にある紀元前2500年前の遺跡から出土した大量のラッカセイの殻である[11]。また、紀元前850年頃のモチェ文化の墳墓にあった副葬品にラッカセイが含まれていることから、ラッカセイが生活の中で重要な位置を占めていたことが分かる[11]。 その後、メキシコには紀元前6世紀までに伝わっていた。16世紀のスペイン人修道士の記録では、アステカ族はラッカセイを食糧ではなく薬と考えていた[11]。また、カリブ海の島々でもラッカセイの栽培は行われており、そこでは重要な食糧とされていたという。 大航海時代の始まりで、ラッカセイはヨーロッパにも紹介されたが、土の中で成長するラッカセイはそれまでのマメ類の常識とはかけ離れた、奇妙な存在と感じられた[11]。気候もあまり適さないことから、ヨーロッパでの栽培はあまり行われなかった。 南アメリカ以外にラッカセイの栽培が広がったのは16世紀中頃である。ポルトガルの船乗りたちが西アフリカ-ブラジル間の奴隷貿易を維持するためにアフリカに持ち込んだのが始まりで、そのまま西アフリカ、南部アフリカ、ポルトガル領インドに栽培地が広がっていく[11]。ほぼ同時期にスペインへ伝わったラッカセイは南ヨーロッパ、北アフリカへと渡っていく。さらにインドネシア、フィリピンへの持ち込みもほぼ同時期である。 日本には東アジア経由で1706年にラッカセイが伝来し、「南京豆」と呼ばれた[5]。ただし、現在の日本での栽培種はこの南京豆ではなく、明治維新以降に導入された別品種である[5]。
栽培史